幕末の剣客、政治家の山岡鉄舟は禅の修行に励んだ人ですが、
食客の一人が冷やかして、
「神仏を拝んだり、座禅したりして何の功徳がありますか?
私は門前や鳥居に小便を引っ掛けておりますが、
まだ一度もバチが当たったことがありませんよ」
すると鉄舟烈火のごとくに怒り、
「お前はバチが当たらんといっているが、立小便などは犬や猫のすること。
武士たるもののすることではない。お前は姿形こそ武士でも、性根は犬猫と同じだ。
すでに人間の形をした畜生にされておることがお前にはわからんのか!」
と言ったそうです。
(「禅語百話」佐藤俊明著 社会思想社 現代教養文庫より)
悪い事をしてその報いとして罰が当たるのではく、
悪い事をすることそのものが罰である、と。
批判や攻撃は言おうとして言います。
その効果も全てではないにしても自覚しています。
失言は思っていても言うつもりがなかった事を言い、
効果を思い至らないことが多いです。
そして怒りが自らの器量の大きさ(あるいは小ささ)を示すように、
失言は自らの認識の浅はかさ、思いやりのなさを露呈します。
(もっとも言葉にしなくても、品性はおのずから現れるものですが)
失言する人も、バッシングする人も、それは同じ。
「人の振り見て、我が振り直せ」とも言いますしね。
人間は過ちを犯す動物です。
「口は災いの元」と知っていても、失敗することは誰にでもあります。
過ちを犯さないように気をつけることは出来ても、決して無くすことはできません。
大切なのはその後始末。
イメージを大切にする企業が宣伝の顔として彼女を使い続ける事をやめたのは、
理解できます。
発言は個人のものであり、企業、商品は無関係と示すにはこれしかないでしょう。
宣伝活動の自粛も、あくまで自粛である以上他人がどうこう言えません。
今は目立たないほうが得策との広報的判断でしょうけど。
ともあれ、「なかったこと」にはできない以上、
しっかりとした謝罪と反省、そして認識を改めることが求められるでしょうね。


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